新しい富山の発見ブログ

とやま暮らし

雑談

地方創生、地域活性化、地域創生って結局どういうことなの?

2017/01/15

富山の活性化

地方創生!地域活性化!地域創生!地域おこし!町おこし!地方を元気に!富山活性化!富山を元気に!

世の中のそこらじゅうで、こんな言葉が踊っている。富山でもよく見かける。この言葉には、いいことをしているような不思議な響きがある。

実際に僕も今度開催する『えんとつ町のプペル展in富山』で、主目的を富山の活性化としている。

でも正直に言うと、よく意味が分からない。というか、言葉から具体的なものが見えてこない。

「地域活性化!」と言われても、「じゃあ、なにすんの?」ってならない?

僕自身なんだか違和感がありつつもわざと使っていたのだが、その違和感の正体が少しわかったので整理してみた。

地方創生、地域活性化とは

明文化はされていないが大筋としては、東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることだ。

もう少し細分化すると次のようなことを目標としている。

・地方で安定した雇用を作り出す
・地方への移住を増やす
・子育てをしやすくして人口を増やす
・地域コミュニケーションの活性化

このように見ると、日本橋とやま館を利用した、富山の暮らしのアピールやUターンセミナー。大同窓会イベントの開催など、県の予算の使い方の方向がなんとなく見えてくるような気がする。

そして僕の単なる感覚なのだが、こういったイベント告知を見ていると「なーんか人が見えんくない?」って風に思ってしまう。

例えば、「とやまUターンセミナー」「30代のみんな集まろう!」みたいなことを聞いても、具体的なイメージがわかない。自分に呼びかけられている気があまりしない。

なんだかそんな感覚がずっとある。

人が見える地域創生、地域活性化

僕が最近感じることは、マス(大勢)に呼びかけるだけで反応があった時代は終わったのではないか?ということだ。

例えば「みんな好きだー」とか、「あけましておめでとうございます。今年もよろしく」とか、「イベントやるから来てね」なんて、その他大勢と同じように呼びかけられても何も響かない。

それと似たようなもので、「中心市街地活性化」「富山活性化」ってのも、「なんかいい活動っぽい」って印象を持つだけで心に響いてこない。

「自分ごと」に思えないってことなのかもしれない。具体的な「人」が見えてこないと、行動しようとは思わない。

家族でも、友人でも、知らない人でも、しっかりとした「人のイメージ」が持てて初めて「自分には何ができるかな?」と考えるのではないだろうか?

「具体的な人」が集まって町ができて、その町が集まって「市や県」ができているのであって、「市や県」があるから「町」や「人」がいるのでは決してない。

目の前の人を笑顔にする

では僕自身が考える地方創生、地域活性化、まちづくりって何なのか?

最近になってようやく、自分の中でしっくり納得のいく答えが見えてきた気がしている。

それは、「目の前の大切な人を笑顔にすること」。

なんかありきたりだけどw、「地方創生」ってのよりはすごくしっくりきている。

例えば、富山県民みんなが目の前の大切な人を笑顔にできたなら、富山県全体がめちゃくちゃ活性化したことになるんじゃないだろうか?

100万人の富山県民全体に呼びかけるのではなく、目の前の一人を元気にすることを100万回分積み上げる。そんな考え方。

まとめ

例えば「外国に行く」って聞くとすごく遠くに行きそうだけど、「韓国」と「ブラジル」では、同じ外国でも全然遠さが違う。また同じ「韓国」でも「ソウル」と「光州」では全く違う。「ソウル」の中でも「明洞」と「南大門」では、また違ってくる。

僕自身はよく無意識のうちに「外国に行く」だけを見てしまって、プランを立てていることがある。しかし、「明洞」なのか「南大門」なのかで持って行く物とか違ってくるから、なるべく末端のより具体的なものを見据えて物事を考えないといけない。

「地方」「地域」「町」の末端にあるのは、「人」なのを忘れてはいけない。

アドセンス

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