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ひとのま(高岡のコミュニティハウス)で感じた「居場所作りに必要な4つのこと」

2017/06/26

ひとのまの居場所作り

9/22に富山県高岡のコミュニティハウス「ひとのま」で開催された『場づくりんぐ』に行ってきた。

18:00から元島くんのライブがあるので、17:40頃にひとのまに着いた。

行ってみると、高岡の有名な瑞龍寺の前の綺麗な通りに、明らかに人が集まってワイワイやってる。外では七輪でなんか焼いてるし、中では麻雀やってたり、タロット風占いやってたりw

ひとのまに来たのはこれで4回目くらいなんだけど、ここの良さ?居場所作りのコツ?みたいなものを感じたので、まとめてみた。

過度に歓迎しない

まず行った時にまったく知り合いが見当たらなくてアウェー感が漂ったw

とりあえず外の七輪の周りにいた人に「車ってどこに停めればいいですか?」なんて当たり障りのない話で話しかける。

「この時間なら裏でいいんじゃない?」みたいな返事が返ってきて車を停める。

そして、とりあえずひとのまの玄関に行き、中を覗くがそこでも知ってる顔が見当たらない。やばい、さらにアウェーだ…

30秒ほど立ち止まり、「革靴だから一度脱いだらまた履くのダヤイから、もう外には出れんぞ」なんて少し考えて中に入ることを決意する。

お気づきだろうか?
ここまでで誰にも歓迎されていない!

ひとのまは、一応1日300円の利用料がかかるんだけど、特に誰もかまってくれないw

「私がもてなします!」みたいなスタッフはもちろんいない。その時のひとのまには、40人くらいいたんだけどほとんどが利用者だ。だからまったく知らない僕を歓迎する人などいないのは当然だ。

ポイント

過度に歓迎すると「お客様」になってしまう。

もしかすると僕たちは、おもてなしされることに慣れすぎてしまったのかもしれない。

例えば、5000円位払って呑み会のイベントに行くと「ようこそ!」みたいに迎え入れてくれる。みんながなるべく話しやすくなるように、ゲームをしたりしてくれる。

もしそういう気遣いがなくて、主催者が何もせずに好き勝手やっていたら、「なんだこのイベント。もう参加せんわ。」みたいな感じになる。

これは参加費5000円を払うお客様と、利益を上げる運営者の立場が成り立っているからだ。

参加者は当然5000円以上の価値を期待してくるのだから、それに見合わなければ不満もたまるし、リピートすることもない。

ひとのまの場合は、その立場の壁がほとんどない。300円でここにずっとおっていいから好きにやって、みたいな感じだ。

お客様気分できた人は不満かもしれないが、ひとのまの目的は、
「ごちゃまぜなみんなのお家、繋がりの中で支えあえる大きな家族、そんな社会を作りたい」
というものだ。

家族という関係にお客様がいないように、みんなで支える社会にもお客様はいらない。

「居場所作り」や「まちづくり」「コミュニティ」という場では、ある特定の人達だけが頑張っていたりする。しかし、本当のコミュニティ作りはみんなが対等な立場で支え合うという意識が根底に必要なのかもしれない。

自己紹介しない

ひとのまの中に入ると、麻雀をやってるメンバーに知っとる顔があったからとりあえずそこに行って麻雀を見る。

10代と20代と40代?と60代?が麻雀卓を囲んでいる。ごちゃ混ぜだ!

見ていると60代?のおっちゃんが、自分の麻雀について解説を始める。なんだか麻雀を通じて仲間意識のようなものが芽生える。

しばらくするとキジハタ(高級魚)の刺身が出てくる。

今日の「場づくりんぐ」では、釣り企画もあったのでそこで釣ってきたものだ。僕は、釣りが好きでキジハタ釣りにも行くのでそっちに興味がいく。

それらの魚と味噌汁、ご飯などが300円だったので早速いただく。

刺身を食べながらキジハタを釣った人と「いつ、どこで、どうやって釣ったか?」など知らぬ間に話が弾む。その話し相手は、偶然一番最初に車を停める場所を聞いた人だった。

そこで思う。
そういえば、この人なんて名前か知らんし、僕も名乗っていない。

ポイント

相手の名前とかって別に必要じゃない。

もしかすると僕たちは、相手を探ることに慣れすぎてしまったのかもしれない。

仕事では、まず名刺を渡して自己紹介するし、呑み会などでも名札をつけて相手の名前や職業を意識する。

でも小さい頃を思い出すと、近所の空き地や公園で、知らん間にみんなで遊んでいた。

親に「あれ誰?」って聞かれても「知らん!」みたいなこともあった。

親は心配するけれど、同じ場にいて遊ぶことが必要なのであって、名前なんてどうでもいい。

居場所やコミュニティを作るときには、とりあえず人が集まって何かをすることが必要だ。

そんな職業のやつはいらんとか、あの人は「先生」をつけて呼ばないとダメだとか、そういう変な壁は全くいらない。

枠にはめない

ひとのまの元島くんのライブは、本来18:00からだったんだけど、その時間ぴったりには始まらない。

18:00ちょっと前にキジハタや美味そうなご飯や味噌汁が出てきたから。美味い飯が目の前に出てきたらそっちに夢中になるのが人間だ。仕方がない。

場づくりんぐ』のビラには、
「ゲリラライブ元島生featAKIRA(18:00~19:00)」とある。

AKIRAさんは、さっきまで魚釣りについて話していた人だった。初めて話しかけた人と魚の話をして、その人がライブでサックスを吹く人だったということに変な偶然。

AKIRAさんは、元島くんに言われてようやくサックスを取りに行って、前もって2人で合わせたような気配は全くない。そして元島くんは、ジャンベのコウヘイにも「いけるっしょ?」みたいに適当に誘って行く。演奏中も子供や大人が適当に話したり、野次を飛ばしたりする。

そもそも告知している時点で何がゲリラライブなのかも分からないw

ポイント

ひとのまは、いわゆるルールに縛られない。

もしかすると僕たちは、みんなと同じようにやることに慣れすぎてしまったのかもしれない。

例えばひとのまには、不登校や引きこもりの子供が来たりする。僕のように変な奴も来たりする。

学校だったり会社だったり社会だったり、大多数の人間が作り出している枠に収まりきらない人は、今の世の中では生きにくい。

例えばジグソーパズルでは、1つでも場所を間違うと枠にハマらない。

今の世の中もそれに似ていて、世間の枠にピッタリの人しかハマらない。対応力のある人間は、自分の形を自由に変えてどんな枠でもピッタリはまる。

そのような能力のない人は、落ちこぼれのような烙印をおされ、迫害される。

ひとのまには、その枠がない。

だからどんな人間でも中に入れる。暴力を振るうやつでも、物を盗むやつでも、文句しか言わないやつでも誰でも入れる。

誰が作ったか分からないが、決まりという枠を作ればそこからはみ出す人は必ず出てくる。そうやって決まりを作って律していくことも時には必要だが、それによって生きにくくなる人も現れる。

居場所を作る人が、自分たちで枠を作ってしまうとまたそこからはみ出した人が現れてしまう。枠を作らなければ、そこからはみ出す人も現れない。

自分も頑張る

世の中に自分の居場所が見つからなくて困っている人は、ずっと自分の部屋にこもっていれば、自分が中心の世界で過ごすことができる。

でも人間は、ずっとそれが続くのは嫌で外に出てくる。ひとのまは基本的に何人もこばまないが、めちゃくちゃ手厚い手助けもしてくれない。

自分の意見を聞いてくれて、話の合う人を連れてきてくれて、黙っていても心地よい環境を整えてくれるような場所ではない。

ポイント

自分が頑張らないと何も変わらない。

もしかすると僕たちは、誰かにやってもらうことに慣れすぎてしまったのかもしれない。

朝昼晩と毎日親がご飯を作ってくれる環境では、子供は自分でご飯を作ることを覚えない。

居場所作りもそれと似ていて、自分で能動的に心地よい居場所を作ろうとしないと、居場所はできない。自分から誰かと話そうとしないとずっと話せない。

待ちの姿勢でいても、誰も自分にとって心地よい居場所を作ってくれない。

最終的には、頑張って人のいる場所に出てきて、人に話しかけて、いろんな行動を起こしていかないと、心地の良い居場所なんてできない。

まとめ

ひとのまには、なぜだか人が集まってくる。

子供も大人も赤ちゃんも高齢者も、サンダルの人も革靴の人も、男も女も、ピシッとした人もダラっとした人も、いろんな人が集まってくる。

そこは誰もこばまない空気がある。

居場所作りには、世間一般的な常識とかそんなものよりも、ちゃんとしてない大切さも必要なのかもしれない。

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