不二越会長の出身地差別発言は確かにダメだけど、批判だけでは富山もヤバい…

不二越会長の出身地差別発言

ネットやSNS上で、富山の不二越(NACHI)の会長の失言が炎上している。

「あいつ何もんよ!」「富山に生まれたらどうすればいいの?」「こんな会長の会社はヤバい!」ってな感じの書き込みも見られる。

でも僕はひねくれ者のマイナー人間なので、正義っぽいメジャーな意見が出るといつも逆の立場に行きたがる。

いつも捻り潰される少数派の視点から冷めた目で見ていると、改めて感じたことがあったのでちょっとまとめてみた。

目次

富山県民は富山が好きだ

コトの発端は、不二越(NACHI)の本間博夫会長が採用に関して「富山で生まれ地方の大学に行ったとしても、私は極力採らない」「偏見かも分からないが閉鎖的な考え方が強い」という発言をしたことだ。

人によっては、富山で生まれ育ったことを全面否定されたようで、相当腹がたったのだと思う。

富山県民としてこの発言を聞いて、実際に影響があるだろう就活生や、不二越工業の富山出身の社員はさすがに嫌だったろうなぁと思った。

不二越は富山で成長してきて、社員の8割が富山県民の会社だ。その会長として配慮にかけた発言だったことは間違いない。

でも何となく分かる部分もある。

富山暮らしと東京暮らしをして感じた「11個の富山の特徴」』でも書いたが、一回富山の外に出てから戻ってくると、改めて感じる富山県民ぽさみたいなものがある。

それが閉鎖的と言われれば、閉鎖的なのだろう。そして、おそらく富山県民もなんとなく感じている部分な気がする。

おそらく不二越の本間会長は、そのようなことを言いたかったのだろうなと思う。

実際に2017年7月13日の北日本新聞を読んでみても、不二越工業としては、「人物本位の採用で、富山出身者の採用を抑えることはない」というようなことが書かれている。

冷静に考えると、世界で活躍する会社がトップの命令通り、「富山出身→不採用」なんてことをやるわけがない。優秀で自社に必要であれば採用するし、必要なければ採用しない、それだけのことだ。

僕たち富山県民は、「富山はなんもない」と言いつつも、心の底では結構「富山」が好きな人が多い。

富山を馬鹿にされたようで腹が立つのは分かるが、一瞬の怒りではなくちょっと冷静に考えないと本質を見失い逆に「富山」を苦しめることになる場合もあると思う。

本間不二越会長の失言の本質

「あームカつく」「こいつ何様よ!」みたいな気持ちも分かる。まず少し状況を整理すると、このような発言があったのは不二越が本社の東京一本化を発表した会見の席上だ。

不二越が、富山から本社を移すことはもう決まったのである。

なんか軽い話のように聞こえるが、「へー、そう」「富山から出てけ!」というような批判をしていると、富山の未来の方がちょっとヤバいように感じる。

本社が富山から東京に移ったということは、今まで富山に落ちていた税金の一部が落ちなくなるといういうことだ。不二越のような大会社になると、結構な額になるのではないだろうか?

実はこれが一番重要な部分だ。

批判だけでは逆に富山を苦しめる

一時の感情で本間会長の発言に腹が立って批判するという行動は、富山を愛しているがゆえ。しかしそれが逆に、愛する富山を苦しめることに繫がる可能性がある。

不二越は世界を相手に活躍している企業だというのは、もはや間違いない。

富山の人間だけで世界に立ち向かうというのも好きなのだが、8割が富山県民というのは少し偏っている気もする。一部に染まると変化に対応するのが難しくなる。

世界で商いをする会社の未来を考えていくと、富山にずっといた人間よりも、世界でいろいろ見てきた人間が欲しいと思うのは結構当然のことな気がする。これは出身地がどうこうという訳ではなく、知識と経験の違いの問題だ。

不二越の会長は配慮が欠けた発言して、それを上手いこと炎上するような形で記事にされてしまっているけど、不二越の本意というか言いたかったことは、そのような多様性の話なんではないかと思う。

これからの時代、富山が好きなのであれば、富山から世界に羽ばたく企業を応援するくらいの器が必要になってくるのではないだろうか。富山県民だけでなく、全国世界から人を雇っている会社があるんだぜ、ってな感じに。

もし今回のようにトップの失言にいちいち炎上していたら、大企業のトップはもしかした「富山県民めんどくせ〜、もう東京行こう」なんて思うかもしれない。

そんなことが次々起こるようになると、いよいよ富山の財政がヤバくなってくる。

富山が好きなゆえの怒りってところがすごく皮肉なのだが、僕ら富山県民の愛情が富山を苦しめるという可能性も十分あるのだ。

まとめ

今回の件で、個人的に今一度、富山県民の富山に対する愛情のようなものを感じた。

富山の自然のように、ちょっとした失言くらい平気で受けて流せるような富山になるといいなぁと思う。

そして今のネットはやっぱり怖い部分がすごくある。上手いこと切り取って編集したことを、みんながそのまま受け入れてしまう。

実際に北日本新聞に掲載された全文を読んだ上で、批判した人は何割くらいいたのだろうか?誰でも情報を発信できる時代、政府でも誰でも嘘をつける時代、新聞やTVなどのメディアだとしても、全てが真実なんてことは絶対にない。

「自分はどう思うか」みたいなフィルターがないと、いくらでもマスコミに踊らされるような気もする。というか、それすらも楽しむ時代なのかもしれないが…。

僕自身ひねくれ者のマイナーなくせにこんなん書いてると、めっちゃ誹謗中傷を受けることもある。正直怖い…。批判した人は結構軽い気持ちなんだろうけど、こちらとしては、マジでハゲるんじゃないかと思うくらい精神的にキツイこともある。

「この人はこう思うんだ、自分とは違うなぁ」「みんな違ってみんないい」なんて思えたらいいのになぁ。

不二越会長の出身地差別発言

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