4月16日の選挙に向けて、僕のSNSなどにも選挙関連の情報が流れてくるようになった。
家にも選挙活動誌的なものが投函されるようにもなってきた。
でもネット上で1番アツそうなのは、「政務活動費(政活費)の不正問題で議員辞職した13人の富山市議会議委員のうちの3人が、立候補を表明した」って話。ハフィントンポストというサイトでは、「富山市議選、政活費不正で辞めた議員が再び立候補へ」というタイトルで記事になっていた。
この情報によると問題となっている議員は、次の元自民会派の3人だ。
市田龍一氏(62)
浅名長在ェ門氏(66)
浦田邦昭氏(70)
世間の反応を見る限りでは、この再出馬について基本的に批判の流れが強いようだ。
僕は基本的にヒネクレていて「時に大多数の意見は危険だ」と思っているので、今回はマイナーな擁護の立場で思ったことを書いてみる。
マスコミの情報を鵜呑みにしない
本題に入る前に、マスコミやネットの情報は一度自分の頭で整理して「きちんとした情報」にした方がいい。
マスコミは基本的に、面白く聞こえるように言葉の選択と編集を行うからだ。
例えば「30歳の息子が、68歳の父親をナイフで殺害」とだけ書かれると、なんてひどい息子だと思うだろう。
だが、「病気で苦しむ68歳の父親がもう楽にさせてくれと頼むので、30歳の息子がナイフで殺害した」という事実を書かれると、どうだろう?
受けとる印象が、180度変わってくるのではないだろうか?
同じ事実でも、その切り取り方と編集の仕方でどうとでも伝えることができる。
自分の思考のフィルターを必ず通すことで、マスコミに踊らせられることが減ると思う。
今回の件で出てきている情報は「富山市議選、政活費不正で辞めた議員が再び立候補へ」というものだ。
ここで僕が気になるのは「政活費不正で辞めた」の部分だ。この部分をそのまま鵜呑みにすると、踊らされそうな匂いがする。
辞職理由の政務活動費不正の中身は2種類
まず重要なことは、その3人がどのような不正受給で辞職したのかしっかりと知ることだ。
以前、『富山県議会議員の平木柳太郎くんの県政報告会』で話を聞いて、政務活動費の不正受給にも「ミス」と「犯罪」の2種類があると理解している。
簡単に説明すると、手続きや誤解によるものがミス、不正だと知っていて悪意でやるのが犯罪だ。
僕はこの記事を書こうと思ったときに、「前者のミスの人がいたら、記事的に少しは面白くなるかな?」と思っていた。
今回のハフィントンポストの記事によると、3人の政務活動費の不正受給の内容は次のとおりだ。
市田龍一氏の場合
福岡市に1泊2日の視察に行ったと装ったカラ出張に加えて、プロジェクターやシュレッダーを購入したように装うなどして政務活動費を不正受給。
浅名長在ェ門氏の場合
白紙領収書を使って市政報告会の茶菓子代などを不正受給。
浦田邦昭氏の場合
市政報告会の茶菓子代を水増し請求して不正受給。
これらが事実だとすると、完全に後者の「犯罪」にあたる政務活動費の不正受給だ。
僕の当初の目論見は、完全に終わった…w
しかしこのままでは、マイナー側の立場が成り立たないので、もう一つ思うことを書いてみる。
失敗した人は戻れない社会なのか
当初の僕の目論見は外れて、今回話題に上がった3人については、単なるミスで政活費不正受給をした人はいなかった。
しかし日本や富山では、一度失敗した人はもう挑戦することもできないのだろうか?
世の中では「夢を持つことはいいことだ!」「夢に向かって頑張れ!」「何にでも挑戦してみろ!」なんてことが言われる。
もしかしたらそのように言っている人が、今回の「政務活動費不正受給で辞職した議員の再立候補」について、批判していたりするのではないだろうか?
もしそうだとしたら、それは矛盾してないだろうか??
選挙に立候補するなんて、最初は誰でも初体験で勇気のある挑戦だ。それがちょっとやらかして辞職したら、手のひらを返したような批判。
本当にそれでいいのだろうか?
一度罪を犯した犯罪者は、完全に排除。そんな社会でいいのだろうか?
犯罪者と聞くと近づきたくないと思うのは、人間の本能だと思う。誰でも危険なものには近づきたくない。
「犯罪者」と一括りにしているけど、その中には、どうしようもない悪人もいれば、いい人もいるだろう。
「富山県民は真面目だ」と言われても、もちろん僕のように不真面目な人もいるのと同じだ。
「いじめはダメだ、かっこ悪い、やめよう」と言われているが、失敗したものに対しての一方的な批判は、大人のいじめなんじゃないだろうか?
というヒネクレな僕の、マイナー側からの精一杯の反撃をしてみた。どうだっただろうか?
まとめ
政務活動費不正受給で辞職した富山市議会議員の再出馬について、「擁護」の立場で意見を述べてみた。
もちろんヒネクレ、マイナー好きな僕の心の奥にも、「この状態で再出馬とはすごい神経してんなぁ」なんて気持ちがある。
でも、片方に完全に染まるのもどうかと思うのだ。両方を見て考えてみて「僕はこっち側だな」みたいなスタンスは、ずっと保っていきたい。
間違いを犯したのであればある程度の批判は絶対に必要だし、それを受け止めてしっかり謝ることも必要。
もし本当に次の市議会選に立候補するのなら、どのような選挙公報を出してくるのか、実際にどのような話をするのか、それを富山市民はどのように判断してどのような結果になるのか。
そもそも政治には興味がなくて、投票しに選挙にも行かないのか。
個人的にどんな結末が待っているのか、すごく楽しみだ。
当時の政活費不正受給による辞職については、『富山市議会議員の不正による辞職』にもう少し詳しく書いてあるので、興味がある人はどうぞ。