人口減少って何が問題なの?
少子高齢化の後に人口減少が叫ばれる世の中。
「10年後に日本の人口は、何人になっている!」なんて言われているが、はっきり言ってピンとこない。
そして「まぁ、なんとかなるんじゃない?」「”今”が大変でそれどころじゃない!」と正直僕も思っている。
実際富山でも人口減少が懸念されていて『富山県の人口推移。25年後に富山県の人口は30%減っている!』にも書いたが、15歳以上65歳未満の生産年齢人口は、25年後に約30%減っているそうだ。
例えば100人の町内が70人になると考えると、ほんのちょっとは減った感じがするがあまり危機感は感じない。
でも10000円の小遣いが7000円に減らされる、と考えると少しは危機感を覚えるかもしれない。人口が減るということは、国・県・市が使える予算が減るということだ。
予算が減ると、人間の生命に関係の薄い施設やサービスから予算が削られていく。実際に財政破綻をした北海道夕張市では、様々な公共サービスが停止している。
人口減少の影響は、すでに身近で起こっている
僕たちは基本的に、未来の不安などについては現実に起こるまでは分からないし、見て見ぬふりをする傾向があるように思う。
地震や津波なんかも、どれだけ発生する確率が高いと言われて注意報が発令されても、それを聞いて実際に避難する人は少数だろう。
命の危険がある地震や津波でさえそうなのだから、「人口減少」なんて間接的なことに危機感を持つ人は極わずかなはずだ。
僕自身も実際にそんな感じだったのだが、意外と早く人口減少の悪影響を目の当たりにした。
それは『らいちょうバレー、ゴンドラとリフト1基のみ稼働』という知らせだ。この記事は、予想よりも多くの人から反応があった。
僕たち富山県民にとって身近な「スキーやスノボなどのウインタースポーツ」。毎年変わらず全てのリフトが動くと思っていたが、今年は動かなかった。
一部の報道では、「地主との関係がどうこう」というのを目にした気がする。これについて怒りのコメントも寄せられていた。
「地主がどうこう」と言われると、地主の人が意地悪したようなイメージを受ける。でも僕は違うと思っている。
なぜならリフトが動かないだけで、らいちょうバレー下部の滑走は出来るからだ。もし意地悪で土地を使わせないということなら、その地主の土地部分が滑走禁止となるのではないだろうか?
このことから、僕はいつもは運営のためにお金を出してくれていた地主の方が、お金を出せなくなったのではないか?と考えた。
スキー場の運営は、傍目に見て大きな黒字だとは到底思えない。つまり税金や管理自治体の負担が少なかずあるはずだ。
「山間部の人口が減ってきて、とうとう自治体としてスキー場運営にお金を回せなくなった」。事実は知らないが、こう考えると個人的にすごく納得できる。事実を知っている人がいたら教えて欲しい。
つまり山間部などの、人口減少が早めに訪れている地域では、実際に悪影響が目にみえる形で出てきているのだ。
避けられない現実
じゃあこれから人口を増やそう!ってのは、正直無理だろう…。
仕事がない、賃金が安くなった、将来が不安という状態で、結婚出産、それも戦後以上の数の出産となると、ちょっと想像できない。
つまり人口減少は、もはや避けられない現実なのだ。
人口の増加が無理なのであれば、実際に人口減少の影響が大きくなってきたときに、どう対処していくかを考えるしかない。
ではどうすればいいのか?その正当な答えを、僕のようなちっぽけな人間が答えられるはずもない。
しかし、僕の中では「シェア」なんじゃないかと考えている。
周りの人と分け合うシェア
シェアというと、「シェアハウス」や「カーシェアリング」「シェアオフィス」を思い浮かべる。
全国的にも少しずつ普及していて、富山でもほんの少しずつではあるが行われている。
人口が減ってくるということは、消費の総量が減少するということだ。それに伴い稼げるお金も減ってくる。
お金に余裕があるときであればなんでも買えるが、使えるお金が減ると当然買えるものも減ってくる。「別に必要ない」「今は使っていない」ような物の購入は、今後減るだろう。
例えば「家」。子供との思い出を作り生活を支える貴重な場所だ。しかし子供が成人後や、両親が亡くなった後の管理に、大勢の人が困っている。
実際に空き家問題が全国的にも取り上げられるようになった。
「車」もそうかもしれない。実際に必要なのは、買い物に行くときと、たまに行く旅行の時だけだったりする。オフィスも同様だ。
「家」「車」「オフィス」などというと、シェアは実際の”物”だけだと思いがちだが、僕は「情報のシェア」こそ重要だと思っている。
情報のシェアは簡単にできる
物のシェアは分りやすいのだが、実際に取り組もうと思うと調整などが意外と大変。
でも情報のシェアは、簡単だ。厳密に言うとめんどくさかったりするけどw
インターネットがこれだけ整備された現代。FacebookやTwitter、LINE、InstagramといったSNS、YouTubeなどの動画投稿サイト、ブログなど、もう誰でも情報発信ができる時代になった。
文章でも、写真でも、映像でも簡単に世の中に発信できる。
富山のことについて詳しい人は誰?と考えるとよく分からないが、舟橋村のコンビニに詳しい人は誰?と考えると、そのコンビニに通っている人か、店員だろう。
大きく考えすぎると焦点が合わないが、小さいものが集まって大きなものができていると考えると、分りやすい。
ママ友が言っていた施設が良かった、友達が話していた店が美味しかった、ネットで見たゲームが面白かった、それらの情報が集まって、大勢にシェアされるととても快適になる。
僕はこの「とやま暮らし」を使って「富山の暮らしで感じたこと」『富山のイベント』を実験的に発信している。
「クラウドファンディング」を経験したので、それで感じたことは『「クラウドファンディング」富山のような地方でも資金集めができる!』に簡単にまとめた。
イベントの紹介をして感じたことを『イベント紹介サイトを運営して感じた「ネットでイベント告知する時の7つの注意点」』にまとめた。
個人が持っている経験や体験をシェアすることで、それを参考にしてくれる人がいる。
独り占めしようとする時代は終わった?
近頃すごく感じるのは、「空いてるのにもったいないな」ということだ。
空き店舗もそうだし、市や県が持っている施設、町内の公民館、人口が減ったのだから当然のように施設が余ってくる。
「そこで何かやれませんかね?」というと、途端にお金の話になる。それは当然で、個人や企業で所有しているものなのであれば、何の文句もない。だってそれで商売をしているのだから。
自分がマンションの不動産経営をしていると考えると分かりやすい。部屋を使ってもらわないと収入にならない。空きがあるのなら、「多少安くしてでも借りて欲しい」と考えるのは当然だろう。
問題なのは、税金で運営している施設だ。
税金で運営しているので、使ってもらわなくても管理者は全く困らない。公民館なども空いているので使わせてもらおうとすると、すごい制約が出てくる。
もし公民館が、塾や子守、みんなでお茶を飲んで新聞を読めるスペースに変わったらどうだろう?そこに住む人にとっては、メリットなんじゃないだろうか?
使ってもらって初めて意味のあるものって、たくさんあるのではないだろうか?
情報も同じで、自分だけが知っているというのは、その人の強みなのかもしれない。でもみんなでシェアした方が面白いことが起こるんじゃないだろうか?
「僕はこんなこと詳しいから教えますよ」「前教えてもらったから、取れすぎた野菜あげるよ」「人に丁寧に教えてもらったから、今度は自分も人に何か教えてあげよう」みたいな流れができてきたら、すごく楽しいと思う。
そこにお金が多少絡んできてもよいと思っている。自分が良い思いをしたのだから、その対価を「金銭」や「情報」「体験」で支払っていくような。
大事なことは、すべてを独り占めして「自分だけが儲けよう」とか「何とか自分だけ得しよう、いい目にあおう」と考えないこと。
自分が持っている知識や場所や経験をシェアして、それを大勢で楽しんで、その楽しんだ分をお金に変えるような流れ。少しずつだけど、そんな時代の流れが多少なりとも来ている気がする。
まとめ
事業でも、スポーツでも、上手く行っているときは何の問題もない。真価が問われるのは、上手くいかなくなってきてから。
人口がどんどん増えた今までと、減っていくこれから。今までのように、「自分だけ自分だけ」という価値観でいいのだろうか?
富山で発見した楽しいことやお得な情報を自分だけで消費していいのだろうか?政治家も視察で得た情報を自分だけが持っていていいのだろうか?自分一人だけで生き抜くにはなかなか難しい時代になってきているのではないだろうか?
周りと一緒になんとか協力して、いろんなものをシェアして、生き抜いていかないといけない時代が来ようとしているのではないだろうか?
自分が得たこと、発見したこと、体験したこと、どんどんシェアしていけば大勢の人が笑顔で暮らせる世の中になると信じている。