富山大学のある五福から、中心市街地へいくときに渡る富山大橋。
おそらく人生で一番多く渡った橋。神通大橋とどっちがどっちだったかよく迷う橋でもある…w
晴れた日は写真のように立山連峰が綺麗に見えて、渡っていてもとても気持ちがいい。富山が山に囲まれた県だということを実感するスポットだ。
中心市街地の商店街について考えていたら、この橋も古い橋から北側に架け変わったことを思い出してちょっと懐かしくなった。
そこで、橋のたもとにある富山大橋の歴史を展示するエリアを確認してちょっとまとめてみた。
富山大橋の歴史の展示エリア
曇りの日は何も見えない「とやまおおはし」。
写真は五福側から安野屋の方を見ている状態。ここの右側(南側)に富山大橋の歴史を展示しているエリアがある。
こんなスペースが。
車でしか通ったことがない人は、もしかしたら知らないかも?
富山大橋の歴史エリアの展示物
全部で6枚のパネルと、1個の石碑が置かれている。
旧富山大橋からの風景
昔の富山大橋が懐かしい…。
もはやあんまり記憶に残ってないけど、片側一車線だったっけ?
昔のレトロな市電も懐かしい。そして市電と車との距離が近いのもこうやって写真で見るとよく分かる。
よく考えたらこの写真市電が走ってくる手前から撮ったんやねぇ。後ろの立山連峰がめっちゃ綺麗☆
旧富山大橋
旧富山大橋の年表は興味深い。
1936年(昭和11年)に渡橋式があって、富山空襲を免れたんだね。そんな歴史は全然知らんかった…。
2012年(平成24年)8月26日に、渡り納め式なるものがあったのも知らんかった。友人に聞いたら車停めて橋を歩いて渡ったとか…?
しかも2012年に撤去を始めて、撤去完了したのが2015年。そんなに長い間、新しい橋の横にあったのか…? 年表で見るのと実際の体感って全然違う。時が経つのが早すぎる↓
データで見ると幅員が16m。両側の歩道2mに市電も考えると、これってかなり狭い。新しい富山大橋は幅員30mと、昔のほぼ2倍になっている。
新しい富山大橋
現在の新しい富山大橋の開通式は平成24年(3月24日)。
旧富山大橋との切り替えのときの記憶とか全然ないな…。人の記憶ってそんなもんか…。
手すりの所にガラスがあるのは知ってたけど、それが校下の小学生が制作したガラス玉だとは知らんかった。
神通川の歴史と富山大橋建設の経緯
神通川の歴史も新鮮。神通川はここまで曲がっていたのか。
洪水が多かったので、現在のようにまっすぐにする馳越線工事が行われたのが明治34~36年。100年以上も前の話。
そういう話は教科書で習った気がするけど、今は川はまっすぐなのが当たり前のような感覚になってる。
富山大橋の変遷
富山大橋の変遷も面白い。神通新大橋→旧富山大橋→富山大橋の流れ。
橋名 | 横長 | 幅員 |
---|---|---|
神通新大橋 | 432.7m | 6m |
旧富山大橋 | 472.4m | 16m |
富山大橋 | 466.0m | 30.5m |
幅はほぼ倍々に広くなっていっているのは、車の需要に伴った時代の流れなんだろうな。
長さは、旧富山大橋よりも現在の富山大橋の方が6mほど短くなっている。
富山大橋から見える立山連峰
この写真撮った人がすごい。
ここまで綺麗に見えた立山連峰にはまだ出くわしたことはないけど、ある程度綺麗に見えることはある。
特に冬の空気の済んでいるときの立山連峰は、かなり贅沢な景色だ。
富山大橋にある石碑
富山県庁の屋上にある昭和天皇の歌碑のような石碑が、富山大橋のふもとにもある。
達筆すぎて、全文は判別できなかった…w
まとめ
旧富山大橋と新富山大橋の歴史。
その入れ替えは、実際に体感していたはずなのに詳細な記憶は残っていない…。曖昧な記憶だけ…。
この頃にブログやってれば、写真などで残しておけたのになぁ。
アホだからすぐ忘れてく、文章や映像で残さないと人生振り返ったらほとんど覚えてなさそうや…w
富山大橋の歴史がちょっとでも気になった人は、橋のふもとの歴史展示エリアに足を運んで見てね。僕の記憶が正しければ、安野屋町側にも同じようなエリアが設けてあったはずだ☆