座禅には以前からちょっと興味があった。
テレビでよく見かける「喝!」みたいに叩かれるイメージ。でもジョブズが自宅の何もない部屋で座禅を組んでいるのも見た記憶がある。
同じ日に2人から座禅に誘われたので、これは「なにかそんなタイミングなのだろう」ということで、朝の5時から2時間、座禅と歩き座禅を体験してきた。
禅とは、座禅とは?
「禅(ぜん)」って聞いたことはあるけど、よく意味が分からなかった。そこでネットでちょっと調べてみた。細かい部分での違いはあるだろうが、大筋は外していないように思う。
禅は、南インド出身の達磨(だるま)を祖にするもので、曹洞宗と臨済宗の禅宗を略して「禅」と呼ぶ。その禅の修行形態が「座禅」である。座禅を行うことによって仏の悟りの境地を自分の中に表現しようとする。
しかし同じ禅宗でも、曹洞宗と臨済宗で考え方が異なる。
臨済宗
臨済宗は栄西を祖にし、その教えは「自分を抜きにして悟りを得ることはできない」というもの。
臨済宗において座禅は、悟りに達する手段だと考えられていて、座禅中に公案を思索し工夫する。
公案
禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。禅問答。(Wikipedia)
曹洞宗
曹洞宗は道元を祖にし、その教えは「余計なことを考えずにただひたすらに座禅する姿が仏なのだ」というもの。
曹洞宗において座禅は、目的も意味も求めずに座禅をすることそのものが目的だと考えられていて、壁に向かって無心で座禅をする。只管打坐(しかんたざ)
同じ禅宗でも宗派によって、少しずつ変化してきている部分が人間らしくてとても面白い。そしてスティーブ・ジョブズらによって世の中に広がったマインドフルネスというものもある。
マインドフルネスとは?
禅と一緒に語られることが多い「マインドフルネス」。
ここら辺からいまいちよく分からなくなる。ちょっと調べてみたところ、なんとなくこんな感じかなというくらいには理解できたような・・・。
マインドフルネス
今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れること。(Wikipedia)
さらっと意味が分かったような気がするが、マインドレスネス=心ここにあらず、という反対の意味とセットで考えるともう少し理解できるかもしれない。
どうやらマインドフルネスとは、仏典に用いた「サティ(今、ここへ)」の英訳のようだ。過去でも未来でもなく、「今」に本当に気づいている状態を指す。
もうちょっと調べてみると、マインドフルネスとは「仏教的瞑想から宗教色を排したもの」という説明もあった。宗教的なものではない瞑想のため、別に座禅などのポーズは必要ではないようだ。
宗教色を取り除いたというところが、世界の多くの人々に受け入れられたのではないかと思う。
マインドフルネスの効果とは?
マインドフルネスがこれだけ世界的に広がっているのは、記憶力や集中力をあげる効果など、その有用性を示す研究結果が次々に見つかっているためだ。
マインドフルネスとは「心ここにあり」の状態だと言われるが、「心ここにあらず」の状態と違って、今自分の周りで起きていることに100%意識を集中できる。
スマホやPCなどを携帯し、常に何かしらの情報にさらされている現代において「心ここにあり」の状態に持っていくのはとても難しいことのように思える。
だからこそ、このマインドフルネスの必要性があるのだろう。ビジネスの分野でも注目されている。
ジョブズはなぜ禅に傾倒したのか?
MacやiPhone、ピクサーの生みの親とも言えるスティーブ・ジョブズ。
ジョブズは、乙川弘文という型破りな禅僧に師事した。ジョブズの服装も、Appleで生み出された製品も、全てがシンプル。無駄なものがなくそれでいて美しく使いやすい。
2005年にジョブズがアメリカのスタンフォード大学で行った有名な演説がある。
私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、「今日が人生最後の日だったとしたら、今日の予定をやりたいと思うだろうか」と問いかける。「ノー」の日が続いたら、何かを変えなければいけない。
これは僕の心にはすごく響いた。
スティーブ ジョブズの精神世界の古典バイブルは、「Be Here Now―心の扉をひらく本』(ラム・ダス著)」なのだという。その後、拠り所としたのが、アメリカに禅を持ち込んだ1人「鈴木俊隆(すずきしゅんりゅう)」の書だという。
日本では精神やマインドや宗教というと、なんだかマイナスなイメージがあるが、スポーツなどをやっていると「マインド」の大切さは身に染みて分かる。
僕の愛用するMacやiPhoneの生みの親、ジョブズの読んだ本などは考え方の参考として気になる。
「Be Here Now―心の扉をひらく本」
iPhoneにもマインドフルネス
いろいろと調べていて知ったのだが、なんと僕の持っているiPhoneのヘルスケアアプリの中に「マインドフルネス」の文字があった。
覗いてみると、マインドフルネスについて簡単な動画を見ることができる。またこのアプリ内ではマインドフルネスは次のように説明されている。
マインドフルネスとは、過去でも未来でもなく今現在の時間に、活動的・開放的に注目する状態のことです。この状態のとき、自分の思想や感情を、良し悪しを判断することなく、遠くから客観視できます。マインドフルネスとは、人生を無為に過ごす代わりに、今この瞬間に生き、体験することに目覚めるということなのです。
現状、Headspaceなどの他のアプリを利用しないと使い勝手は悪いが、今後マインドフルネスが注目されるともっと使い勝手が上がるかもしれない。
実際に座禅をしてみた
富山市にある最勝寺は、曹洞宗であるため、壁に向かって座禅を行う。
最初に説明された注意点は、次の通りだ。
・楽な姿勢で
・半目で行う
・何も見ない
・呼吸が大事(鼻呼吸)
・考えが現れても追わない
僕は足首が固まっていて、正座もまともにできない。「楽な姿勢で」というのが助かった。正式な座禅を組もうと思ってやってみたが、どう頑張ってもできなかったw
しかも座布というものがあり、これが結構おしゃれだったので「どこで買えるんやろ?」と思ったら、アマゾンで売っていたw さすがAmazon。
今回は普通の座禅のあとに、歩き座禅というものも行った。
歩き座禅といういものがあること自体初めて知ったのだが、叉手(しゃしゅ)と呼ばれる手の作法をしながら、堂内を歩く。足はくっつけて、一呼吸ごとに半歩ずつ進むというものだ。
叉手(しゃしゅ)
立っているとき、歩くときの手の作法。左手を親指を内側にして握り、手の甲を外に向けて胸の前に軽く当てる。それを右手のひらで覆う。
座禅をして感じたこと
禅やマインドフルネスについて、小難しいことをいろいろと書いてきたのだが、実際にどうだったのか?って話だ。
この日、僕は3時間も寝ていなかったので「座禅中に寝るんやろなぁ」と思っていた。しかし、全く眠くならず、むしろ頭が冴えた。
すごく不思議な感覚があった。40分の座禅のあとに歩き座禅を10分ほど、少し休憩してまた次の座禅だったのだが、座禅の時間がえらく短く感じられるのだ。体感的に20分くらいな感じだった。
実際に座禅をして、普段半ば強制的に浴びている余計な情報や電波などが全てリセットされたような感じがした。PCに溜まった目に見えない余計なゴミデータを消去して、クリーンインストールするな感じ。
「断捨離」という言葉をよく聞くが、これは心の断捨離なのではないかと。断捨離をやったことはないんやけどw
ジョブズも取り入れ、ビジネスの分野でも注目されるのは、これなのかなという感覚は確かにあった。不要なものやどうでもいいもの、本当に必要なものが見えてくる感じだ。
自分の中のキャパを大きく使っていたけど、「これって別にどうでもいいな」ってものが不思議と見えてくる。人生の時間が決まっているのだから、不要なことに時間を費やしている暇はない。「なんとなくで不毛な付き合いはやめよう」とも思えてくる。
まとめ
人生初体験の座禅。
調べてみると、禅宗、臨済宗と曹洞宗、マインドフルネスなど、いろいろと複雑だ。
でも結局は、「自分の人生をしっかり見つめて生きたい」というところに行き着くのではないかと思う。
最近のニュースでもよく取り上げられる「ブラック企業の従業員が、激務が原因で亡くなった」という話題。僕なら100%辞めるのだが、日本人はすごく真面目だなと関心もしてしまう。これをジョブズの「今日が人生の最後だったとしたら〜」の判断基準に当てはめると、間違いなく「ノー」となる予定だろう。
いいのか悪いのか、僕は基本的に「自分はどう思うか」で生きている。宗教や思想について細かいことを言い出すとキリがないし、ちゃんとした人から怒られそうだけど、きちんと自分のフィルターを通して「取り入れるかどうか」を判断したい。「座禅は必ずこの形で」なんて言われると、そもそも無理だったが、寛容なところで助かった。
今回座禅を体験して、住職の話を聞けたことでちょっとまた新しい世界を覗けた気がする。
今回僕が体験した富山市蜷川にある最勝寺では、ヨガ座禅なども定期的に行っているようだ。興味がある人は最勝寺のHPを覗いて見て欲しい。
また5/20(土)には、何回もお世話になっているTOYAMA TABLEさんのイベント「禅 ~坐禅とピラティスの巻~」も行われる。
住職もいい人だし、ピラティスの人もとても感じのいい綺麗な方だ。「禅」に気軽に触れられるいい機会だし、たまには座禅の休日も面白いのではないかと思う。
最勝寺
場所:富山県富山市蜷川 蜷川377
TEL:076-429-1285